千葉地方裁判所 昭和46年(ワ)568号 判決 1974年11月28日
原告
松村賢之介
原告
松村君江
右両名訴訟代理人
土田吉彦
被告
照井始
被告
竹下三郎
被告
千葉市
右代表者市長
荒木和成
右被告三名訴訟代理人
堀家嘉郎
外二名
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の申立て
一、原告らの請求の趣旨
1 原告らは連帯して原告松村賢之介に対し金五、一一五、五八一円、同松村君江に対し金四、九六四、〇六一円及び右各金員に対する昭和四六年一一月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
(仮執行宣言)
二、被告らの答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
(請求原因)
一、事故の発生
原告らの長男訴外亡松村昭彦は、昭和四五年九月五日午前一一時過頃千葉市緑町二丁目三番一号所在千葉市立緑町中学校プール(長さ二五メートル)において、同校三年生の三時限目の体育(水泳)の授業として行われたテスト(飛び込み)中、テストを終つてプール端まで泳いで行く途中突然手足をバタバタさせて水中に沈み、間もなくこれに気付いた他の生徒の注進により体育担当教員被告照井始が右昭彦をプールサイドに引き上げたが、同日午前一一時一〇分頃心不全により死亡した。
二、事故の模様
右事故が発生した時、最初に気がついたのは既にテストを終えてプール端に泳ぎついていた訴外大沢孝夫とプールサイドで見学中の訴外奥洞明彦らの生徒であつたが、被告照井はテストに気をとられていて気付かず、右生徒らの知らせにより始めてこれに気付き他の生徒と共に昭彦をプールサイドに引き上げそこに仰向けに寝かせた。このとき昭彦は眼をひきつらせ、激しくけいれんしていた。
被告照井は、「なんだ、癲癇か」といつて、昭彦を同所に放置したまま体育主任の訴外相内教諭を呼びに行つた。相内体育主任は現場に来て昭彦に人工呼吸を施したが、二、三分で中断し昭彦の身体を更衣室に移しそこで再び人工呼吸を施した。そのうち日高教頭の連絡により井原校医が到着したが、同校医は昭彦に対し強心剤の注射をうつ等の応急措置もなさず、到着した救急車で井上病院に昭彦を運んだが、そのときは既に昭彦は死亡していた。
三、被告らの過失
1 準備運動の欠除
水泳授業の場合、それが急に温度の変化する水中での運動であることから、被告照井は生徒に対し他の運動課目とは異なつた準備運動をさせる必要があり、かつ昭彦が三年生時体育時限のサッカーの練習中足の筋肉がつつたことがあり、また夏休中の右プールでの水泳中にも筋がつつて水泳を中止したことがあつて、この事実を同被告において知つていたのであるから、前記授業開始にあたり特に入念に準備運動をさせるべきであつたのに、単に短時間一般的な準備運動しかさせなかつた。
2 監視態勢の不備
被告照井は本件事故が起きたとき、生徒の飛び込みのテストをしており、一人が飛び込んで一〇メートル位進むと次の生徒を飛び込ませ、その間生徒の飛び込みにつき採点簿に点数をつけていたため、監視できる範囲は右テスト中の生徒と、採点簿と、少くとも飛び込み台より一〇メートル位の先までしかなかつたのであつて、右範囲外の監視はできえない状態であつた。このテストは男子生徒を各三回に渡つてするものであるから、かなり長い間に亘つて監視範囲が制限されていたことになる。このため本件事故が発生した際最初に発見すべき監視者たる被告照井は事故を発見することができず、その分だけ応急措置が遅れたばかりでなく、監視員たるべき者は当然に本件のような事故のあることを常に予測して適切な応急措置を構ずべきなのに何らかかる措置をとらなかつた。本件のようなテストを行う場合には更に別に監視者を選んで監視に当らせることが必要である。現に本件事故の前日までは担当教職員の外大学生二名を置いてプールの監視に当らせていたものである。
右のような監視態勢がとられていたならば、昭彦も死亡するに至ることはなかつた。
3 応急措置の不適切
被告照井が昭彦をプールサイドに引き上げた際、直ちに昭彦に対し人工呼吸及び心臓マッサージ等の応急措置をとらねばならなかつたのに、同被告は何らかかる措置をとらず、また相内体育主任は人工呼吸を中途でやめ、更衣室に昭彦を運んだが、一刻一秒を争う心臓発作の措置において数分間にせよ人工呼吸を中断し危険を増大する身体の移動をなし、かつ井原校医も強心剤等の注射をしなかつたことは、応急措置として欠けるところがあり、これらが昭彦死亡の原因となつたものである。
四、被告らの責任
1 被告照井始
同被告は前記過失により本件事故を発生せしめたものであるから、民法第七〇九条により原告らの蒙つた後記損害を賠償すべき義務がある。
2 被告竹下三郎
同被告は緑町中学校校長の地位にあつて、原告らが前記「三の(二)監視態勢の不備」において述べたごとき監視態勢をとらなかつたことは、同被告の過失であり、かつ同被告としては部下職員である被告照井が前記のような注意義務をつくすよう監督する職務上の注意義務があるのにこれを怠つた過失があり、本件事故は右過失に起因するものであるから、同被告は民法第七〇九条の責任を免れない。
3 被告千葉市
(一) 本件事故は前記のように緑町中学校における体育の授業中に起きたものであり、被告照井、同竹下は前記地位にあるから、国家賠償法にいう公共団体(被告千葉市)の公権力の行使にあたる公務員に該当するものというべきところ、本件事故は右被告らの職務上の過失により生じたものであるから、被告千葉市は原告らが右事故によつて蒙つた損害を賠償する責任がある。
(二) 本件事故が起きたプールは緑町中学校の体育の授業のため使用されるものであり、学校教育のための設備であるから、公の営造物というべきところ、右プールが使用されるときは常に危険性が伴うものであるから、これに適切な監視者をつける必要があり、かかる監視者がつくことにより営造物としての効用を全うすることができる。しかして監視者の適切な数は通常三名が相当である。したがつて右のような数の監視者を置かないプールの使用は営造物の設置又は管理に瑕疵があるというべきである。
本件において、監視者としては被告照井一人のみであつたが、同被告は前記のようにテストの採点をしていてプール全体の監視ができなかつたのであるから、実質上は一名の監視者も置かなかつたことになる。
よつて、本件事故は営造物の設置又は管理に瑕疵があつたために生じたものである。
(三) 仮に被告千葉市に以上の国家賠償法による責任がないとしても、被告市は中学教育という事業のため被告照井、同竹下を使用する者であるから、右被告らが右事業の執行について惹起した本件事故による損害を賠償すべき義務がある。
五、損害<以下略>
理由
一事故の発生
原告らの長男松村昭彦(千葉市立緑町中学校三年生)が、昭和四五年九月五日同校プールにおいて水泳の授業中、心不全により死亡したとの請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。
二事故の発見及び救護の模様
<証拠略>を総合すると、次の事実を認定することができる。
1 本件事故発生当日、緑町中学校三年生の三時限目(午前一〇時二五分から同一一時一五分まで)は水泳のテストであつた。テストは逆飛び込み、クロールであつたが、同校プールにおいて行われ、男子生徒はプールの五コースから八コースを使用し各コース毎に四列に並び五コースから飛び込みを初め、飛び込んだ者が一〇メートル位泳いだときに次のコースの生徒が飛び込むという順序であつた。被告照井は体育教師として右テストを行つたが、スタート台から前方へ約五メートル先のプールサイドに立ち、生徒の飛び込みとその後の泳ぎ方をスタート台から約一五メートルの間を観察して採点しこれを用紙に記入していた。
松村昭彦は第二回目の六コースでテストを受けた。昭彦は他の生徒と同様飛び込んで泳いだ。被告照井は約一五メートルの間同人を観察して採点し、その後次次に後順位の生徒の採点を行なつていつたが、右採点中昭彦はスタート台から約二〇メートル行つた先き辺りで突然手足をバタバタさせて水中を浮き沈みした。これに気づいたのは、昭彦の前を泳いでプール端に着いていた大沢という生徒であつたが、同人は直ちにプールの中から被告照井に急を告げたので、同被告はプールに飛びこみ大沢その他の生徒らと昭彦をプールサイドに引き上げた。昭彦はプールサイドにおおむけに寝かされたが、白眼をむき全身が激しくけいれんしていた。時に午前一〇時五五分頃であつた。
2 被告照井は前記状況から昭彦が水に溺れたものではないと判断したが、その原因が判らず、あるいは癲癇の発作ではないかとも考えたが、とにかく、生徒をして体育主任相内弘照教諭、養護教諭立花広子、教頭日高良雄らに事態を急報させ、自らは昭彦の意識を回復させるべく、頬を叩いたり、バスタオルで四肢をマッサージしたり、大声で呼びかけたりなどしたが、昭彦の意識は戻らなかつた。
急報を受けた相内教諭は直ちにかけつけて来た(この点についての証人安孫子仁の証言は採用できない。)が、昭彦は既にそのときには大きな口をあけシャックリをするような呼吸を始め急に身体を二回程のけぞらした後けいれんがやんでいた。相内教諭は昭彦の瞳孔反応を見たが何らの反応も見られず、胸に耳をあてて鼓動を確かめたところ、鼓動が聞えなかつた。同教諭は心臓発作かも知れないと考えたが、昭彦に呼気蘇生法(マウス・ツウ・マウス法)を数回行い、また頬を二、三回叩いて刺激反応を見たが、なにらの反応がなかつた。二、三分後、相内教諭、被告照井はその場所が炎天下のプールサイドであつたから、廊下の渡り板に毛布とバスタオルを敷き、その上に昭彦を乗せて、そこから約三〇メートル離れたプール場入口にある女子更衣室に運び、そこで昭彦に対し約一〇分位ニールセン式人工呼吸を施した。間もなく午前一一時七、八分頃、日高教頭からの急報により校医井原秀博が到着し診察したが、昭彦の状態は依然前記のとおりであつた。同校医は直ちに昭彦に強心剤のビタカントロペリを注射し、心臓マッサージを施し、これに併用してハワード式人工呼吸を行つた。その間約五分間位であつた。
3 午前一一時一五分頃、救急車が到着し、備付の酸素吸入器で昭彦に酸素吸入をさせ、井原校医も同乗して昭彦に心臓マッサージ、人工呼吸を行いながら立花教諭、被告照井もこれに乗りこんで同人を二五分頃井上病院に運びこんだ。同病院では医師三名、看護婦三名が午後零時一五分頃まで約一時間にわたつて治療につとめたが、結局蘇生させることができなかつた。同病院における診断によれば、昭彦の死因は心不全であつた。
以上の認定に反する証拠はない。
三被告らにおける過失の有無
1 準備運動について
<証拠略>を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 当日三時限目の授業が開始された午前一〇時二五分から同三五分までの間、体育館において昭彦の三年D組は先ず体育委員(生徒)の指揮によつて準備運動を行つた後、更に被告照井の指揮によつて水泳運動に必要な身体各部の柔軟体操や補強運動を行つた。このような準備体操の後、生徒らはシャワー室でシャワーを浴び、プールサイドに集合した。
昭彦は三年D組中能力別に編成されたA、B、C、Dの四グループ中最上位のAグループに属し、授業中四〇〇メートル以上を泳いだことがあり、被告照井が右補強運動後、水泳の注意を述べ、身体の調子の悪い者は見学を申し出るよう告げた際にも、昭彦から見学の申し出はなく、同人に外見上何らの異常も見受けられなかつた。同人は平素健康で心臓疾息にかかつている徴候はなかつた。
(二) 午前一〇時四〇分から五分間、プールサイドに集合した生徒に対し、更に被告照井は生徒に二人一組のパデイを組ませて相互に安全を確認し合うことにさせたうえ、次の準備運動を行わせた。すなわち、生徒を二列横隊に並ばせ、前列を先に入水させプールサイドにつかまつて潜水を各自五回づつ繰り返した後、蹴伸びでプール中央に向つて六、七メートル潜水し、また元のプールサイドに泳ぎ帰らせることを二回行ない、次いで後列にも同様のことを行わせた。
(三) 午前一〇時四五分頃からテストに入つたが、テストに入る前、生徒全員は被告照井からテストの要領の説明を受けテストどおりの練習を二回行つた。
右認定に反する証拠はない。
右事実によれば、テスト前に行われた準備運動に欠くるものがあつたとはいいがたく、むしろ準備運動は入念綿密に行われたものというべきである。
なお、原告らは、昭彦が中学三年の体育の時間にサッカー練習中足の筋肉がつつたことがあり、又三年生の夏休中のプールでの水泳中にも筋がつつたことがあつたのであるから、昭彦に対しては他の生徒よりも特に入念な準備運動をさせるべきであつた旨主張するが、右のような事実を被告照井及び学校側が本件事故以前に知つていたと認める証拠はないのみならず、それが昭彦の死因である心不全といかなる点において相関関係があるのか、何らの主張も立証もない。
2 監視態勢について
さきに認定したように、テスト中被告照井は生徒の採点をプールのスタート台から約五メートル先の地点で飛び込みとその後の泳ぎ方をスタート台から約一五メートルの間観察して行つていたものであつて、昭彦がプールを約二〇メートル泳いだ辺りで異常状態におちいつたのを発見したのは、その前後を泳いでいた生徒であつたから、被告照井のプール面に対する観察の目はプールの長さ二五メートルの約半分程度であつたことがわかる。
原告らはこの点をとらえ、このような場合であるから、更に別に監視員を置くべきであると主張する。
しかしながら、多数の生徒を混然と無秩序に水泳させるような場合であれば格別、本件の場合は水泳のテスト中であつて右のような場合でなく、先ず二人一組(パデイ)になつて相互に安全を確認し合うようにし、プール内にはテストを受けた生徒とテスト中の生徒の精々三、四名がいるだけで、プール端に列んでいるこれからテストを受ける生徒達の目はその殆んどがプール面に注がれているし、プール中の生徒の前後には他の生徒が泳いでいるのであつて、水泳中の生徒に異状事態が発生すれば、直ちに発見しうる状況下にあるのであるから、更に監視員を置く必要はないものというべく、結果的にも昭彦の異常状態を被告照井は直ちに発見できなかつたにせよ、他の生徒によつて直ちに発見されて水中から引き上げられたのであつて、同被告が最初に発見しなかつたために応急措置が遅れたと認むべき証拠はない。
従つて、本件において監視態勢に不備があつたとする原告らの主張は理由がない。
3 応急措置について
さきに認定したように、昭彦がプールサイドに引き上げられた時刻は午前一〇時五五分頃であつて、そのときの昭彦の状態は白眼をむき全身に激しいけいれんを起しており、井原校医がかけつけて来たのは一一時七、八分頃、また救急車が到着したのは一一時一五分頃であり、その間において昭彦に対してとられた救急措置は、相内教諭によるマウス・ツウ・マウス法による人工呼吸、相内教諭、被告照井によるニールセン式人工呼吸、井原校医による心臓マッサージとハワード式人工呼吸であり、また相内教諭がかけつけて来た直前昭彦はシャックリをするような呼吸と身体をのけぞらした後、けいれんがやんでいたのであつた。
ところで、<証拠略>によれば、心臓がその活動を停止しても四分ないし八分(通常は四分ないし六分)以内に心臓マッサージ(胸骨の下部を両掌で一秒間に一回の割合で強く圧し心臓を人為的に収縮、鼓張して血液を肺に送ること)を施し、これに併用して人工呼吸を施せば、蘇生の可能性が存することが認められる。
右の蘇生法を被告照井ならびに学校側がとつたとの証拠はない。
被告照井の体育教師としての地位、責任から考えれば、同被告としては体育の授業中生徒が心臓発作に襲われる場合が起ることは皆無ではないのであるから、かかる場合にとるべき応急措置としての心臓マッサージについての知識、方法を当然に心得ていなければならないもので、本件事故当時(昭和四五年)においても、右知識方法は独り医師にのみ要求されるものではなく、体育教師にも要求されるものである。このことは井原校医がかけつけるまでに昭彦の救護に当つた体育主任相内弘照、養護教諭立花広子らについてもいえることである。
昭彦がプールサイドに引上げられた後、相内教諭がかけつける直前シャックリをするような呼吸をして急に大きく体をのけぞらし、けいれんがおさまつたときは、<証拠略>によれば、右徴候はシエーンストーク氏呼吸といい、通常、人が死に臨んで息を引きとる際表われるものであることが認められ、これによれば昭彦はこの時以後心臓の機能を停止したものと思われる。
およそ、人の死亡とはいかなるときをいうのか。医学界においても定説がないように見受けられるが、それはさておき、本件において昭彦に心臓機能の停止があつてもその後に蘇生可能の時間が存するかぎり、右の時間を経過するまでは絶対的、確定的な死は到来せず、それまではいわゆる仮死の状態と考えるべきで、右時間を経過して初めて死亡と断定すべきものと考える。
しかして、右蘇生時間内(午前一〇時五九分頃から一一時〇三分頃までの間で、井原校医が到着する以前である。)に被告照井や学校側が蘇生法たる心臓マッサージを施用しなかつたことは、同被告らにかかる知識がなかつたとはいえ、かかる知識を有していなかつたことが非難に値する以上、結果的に非難せられなければならない。
しかしながら、右措置をとらなかつた不作為と、死亡との間の因果関係を考察するところ、心臓マッサージを施用した場合の蘇生率が相当程度の高確率であるとするならば、そこに当然因果関係の成立を認めなければならないが、このような確率を認むべき証拠はない。即ち、前掲証拠その他の証拠によつても右蘇生法が最も適切な方法であつて、これを施用することによつて蘇生する可能性があるということは認定できても、施用すれば必ず蘇生する或いは高い確率で蘇生するとまで認定することはできない。この点の認定ができないかぎり、人工マッサージの不施用と死亡との間に因果関係を認めることはできないといわねばならない。
これを要するに、被告らは昭彦の突然の心臓発作について何らその原因を与えたものではない。ただ右発作から死に至る極めて時間的に短かい過程において、医師でない被告らにとつて極めて困難なものであつたとはいえ当然の義務である蘇生のための適切な措置を過失によりその知識がなかつたためとりえなかつたのである。しかし右措置をとつたからといつて必ず蘇生するものとは限らず、蘇生しないこともあり、単に蘇生の可能性があるというに過ぎないものであるから、右不作為と死との間には因果関係があるとはいえないということになる。即ち被告らが右措置をとらなかつたがために昭彦が死亡したということはできないのである。
なお、原告らは、相内教諭が人工呼吸を行つたのに中途でこれをやめて更衣室に昭彦を運んだことは、寸秒を争う心臓発作の救護措置においてとらるべき措置ではないと主張するが、昭彦の死は水に溺れて窒息したことによるものではなく、心不全によるものであつて、<証拠略>によれば、溺死の場合と異なり心不全のように心臓が活動を停止したときは、単に人工呼吸を行つたのみでは意味がなく、心臓マッサージを行つて人為的に心臓を動かして血液を肺に送り込み、肺から脳に流入する過程で、肺に酸素を吸入せしめるために人工呼吸を併用するのであつて、あくまでも心臓マッサージが主であることが判るから、本件においては心臓マッサージを行わなかつたのであるから、人工呼吸の中断があつても昭彦の死亡とは関係がない。また原告らは、井原校医が強心剤の注射をしなかつたことが、死亡の原因ともなつていると主張するが、同校医が到着して昭彦に強心剤の注射をしたことは前認定のとおりであるから右主張は理由がない。
四結論
以上原告らの主張する被告照井の過失のうち、準備運動の欠除ならびに監視態勢の不備の過失についてはこれを認めることができず、又応急措置における過失は昭彦の死亡と因果関係が認められないのであるから、その余の点を判断するまでもなく同被告に対する損害賠償請求はこれを理由なきものとして棄却し、被告竹下に対する請求は前記監視態勢の不備を前提としてこれが監督責任を追求するものであるから右前提事実が認められない以上同被告に対する請求もその余の点を判断するまでもなく理由がないものとしてこれを棄却し、次に被告千葉市に対する公の営造物の設置または管理の瑕疵責任を問うものは監視態勢の不備を理由とするものであるところ、これについては前記のように認められないのであるから、この主張は理由がなく、国家賠償及び民法第七一五条の使用者責任による請求は被告照井、同竹下に責任がないのであるからいずれもその前提を欠き失当というのほかなく、従つて被告千葉市に対する請求もその余の点を判断するまでもなくこれを棄却すべきものである。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九三条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。
(渡辺桂二)
<別紙第一、第二省略>